学生の顔

画像: photo AC とちぎさん

2015.07.23

ライフ・ソーシャル

学生の顔

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/大学の意義は、講義で教わる内容ではない。不思議なことに、まじめに講義に出ているだけで、ほんとうに人は四年間で大きく変わる。人の話を聴いている間に、人はいろいろ考える。長い人生に備え、心の覚悟を整えるために、どうにか行かれるなら、多少の無理を融通してでも、若いうちに行っておけ。/

 大学には行っておけ。どうにか行かれるなら、多少の無理を融通しても、若いうちに行っておけ。もちろん、いまどき大学の講義で教わる程度の内容など、いくらでも本が出ているし、知らなくても、その場ですぐにネットで調べられる。だが、大学の意味というのは、そんなところには無い。なぜ古代から人間は学校というものを重視してきたのか。人間を変えられるのは、人間だけだからだ。


 私の担当は一般教養の「哲学」だから、いつも大教室だ。目は良い方ではないが、学生の席から教壇の教員が見えるのと同様、教壇から最前列はもちろん、最後列の教室の隅の学生までよく見える。年30回。同じ学生は、たいてい同じ場所に座っている。メールで毎度、講義後に小レポートを送らせているので、どの学生が何を考えているのか(なにも考えていないのか)も、よくわかる。まあ、学生の側からすれば、週の間にも多様な教員の講義や演習があり、それぞれのコマは、その中の一つにすぎないのかもしれないが、教員の側からすれば、むしろ一つのコマを通じて、それぞれの学生を通年で見続けることになる。


 これが、変わるのだ。本当に変わる。驚くほどに。さぼりまくって学期末、年度末になって久しぶりに出て来た学生とは、まったく違う。後者は、最初と同じ、ガキのまま。顔が緩みまくって、ヘラヘラとにやけている。いや、前者だって、最初はガキだった。教室に来たって、友人たちと落ち着かず、ごそごそもそもそやっていた。それが半年、一年を経ると、男も、女も、りりしく、ひきしまった顔、落ち着いて遠くを見据えた目つきに変わる。大学というものが、昔から人間が少年少女から青年に変われる時期に設置されているのも、なるほどと思わせる。


 一年の講義が終わっても、意外に教員は、以前の学生たちの顔を覚えている。いつも最前列にいた学生、文句ばかり言いながら三年も取り直してきた学生。ろくにノートも取らず、後ろの方でずっと腕を組んで聞いていた学生。学内で会えば、声を掛ける。よう、元気? 専門科目の方はどう? 向こうが私を知らないことはない。だが、なんで自分のことを覚えているんだ、というような怪訝な顔。それでも、ええ、大変ですよ、と話始めてくれる。賞を取ったんです、留学することにしました、と、うれしそうに自慢を語ってくれることもある。これが一番、私もうれしい。


 街中で、何年もたって声を掛けられることもある。すっかり社会人になって、しっかりとした大人の雰囲気に変わっている。それでも、覚えている。ああ、君か、いま何してるの? ええ、いろいろあって。ほんの立ち話だが、あまりの変わりようにびっくりする。十年もすれば、子供を連れていたり、自分で会社を経営していたり。一方、受講を途中で放りだした学生はダメだ。顔を背けて、コソコソといなくなる。どうせ自由選択科目の一つにすぎないのだし、その単位を取れなかったくらい、大したことではなかろうが、おそらくその後もすべてにおいて、その調子なのだろう。あいかわらずガキ。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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