教育のポルポト派

2014.12.26

ライフ・ソーシャル

教育のポルポト派

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/教育改革論者の多くが、教育界から卒業できなかった社会の「負け組」。彼らはルサンチマンで丸暗記を否定するが、丸暗記のオウム返しの詰め込みのなかでこそ、ダイナミックな連想が織り上げられ、創造力が養われてくる。/

詰め込み型の知識ではなく、生きる力を、なんて言ってる連中の経歴を見ると、ほとんどまず東大出、京大出ではない。いわゆる教育学部、旧師範学校系。それどころか、もっと正体不明の経歴の世襲私立学園長たち。その傘下に、各県の教育委員会、小中高の教員がいて、教育界では、一般企業では中核の、いわゆる一流大学出の教員は、むしろ少数劣勢。一ことで言えば、いまの日本の教育は、従来の日本の教育の「負け組」が支配し、その怨恨が子供たちを人質に取ってしまっている。

彼らは、そもそも知識がどんなものか、わかっていない。記憶より応用を、なんて言うが、応用すべきモノがなければ、なにも始まるまい。九九でも、年号でも、まず覚えないことには、どうにもなるまい。そして、さらに言えば、記憶こそが、ダイナミックな連想力であり、創造力そのものだ。サザンが、で、キュー、を連想するのと、金閣寺、で、義満、を思い浮かべるのと、仕組みは同じ。どのみち無契的(図象的な類似性が無い)な関係なのだから、記号論的には、理解もなにも、丸暗記する以外に方法などありえない。だが、こういう無契的なつながりがネットワークをなしているほど、数や時代のイメージが深まる。

本当の意味での「勉強」をやってみたことのない連中には、丸暗記のオウム返しと、記憶や知識、発想力の重要な繋がりがわからないのかもしれない。オウム返しは、短期記憶で、言ってみればデスクトップ。これに対して、知識は、複雑にハイパーリンクしており、何かをデスクトップの俎上に上げると、そこから、とめどなくずるずるとさまざまな連想が引き出されてくる。そうやって引き出されたものは、短期記憶上でさらに新たに相互に結びついて、また仕舞い込まれる。この、記憶を織って知識を編む作業が「勉強」。

だから、むしろ丸暗記のオウム返しのような短期記憶の反復の中でこそ、我々は、勉強として、知識を編む。書取だの、暗記だの、ろくに集中もせず、上の空でやっていてもムダ、と、学校の先生は叱るが、まさにろくに集中もせずに上の空でやっているからこそ、いろいろなくだらない語呂合わせだの、イメージの妄想だの、いたずら書きだのが湧いてくる。こんなつまんない授業、早く終わんないかなぁ、なんていうぼやきの中で、科目さえも飛び越えて、大きな教養、将来の自分の夢が作られてくる。このぼんやりした世界の教養の中で、自分を含めて、日常や人生を考えるとき、それが生きる哲学になる。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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