地方ゾンビ都市の切り捨ては不可避

2014.08.25

経営・マネジメント

地方ゾンビ都市の切り捨ては不可避

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/予備校撤退の背景には、少子化以上の、産業構造の変化によるコンパクト・ステートへのマクロ動向がある。江戸時代は米作りのために、また、戦後は人材供給のために、生産人口を全国に面で展開してきたが、次世代では、人間関係の途絶により、拠点都市とそれらを繫ぐ幹線しか残らないだろう。損切り売逃げの決断は早いほどいい。/

 代ゼミが全国27校を主要都市7校に集約する。大半の報道は、これを少子化に苦しむ同社のミクロ的問題として捉えていたが、むしろ代ゼミの方がマクロ動向の先読みで地方都市を見限ったのではないか。この背景には、少子化以上の、もっと大きな、いやおうなき「コンパクト・ステート(集約国家)」への潮流があるのではないか。

 江戸時代、日本にはおおよそ三百の藩があった。これは、日本の経済が米作りを主軸とし、生産人口を広域に面展開する必要があったからだ。この構造は、高度経済成長期においても、米ではなく人材の生産供給地として、都市流入と地方還元のバランスをかろうじて保っていた。しかし、減反政策は、農家の跡継ぎですら、地方に残っている意味を失わせた。農業に代わる工場なども、その後の円高の結果、海外に流出した。

 高速道路や新幹線などの公共工事に依存する人々もいたが、これも「仕分け」で壊滅。どのみち、高速道路や新幹線が完成しても、閑散とした道路に車は無く、列車もガラ空きのまま。団塊世代以降は退職してももはや故郷には戻らず、送り出し側の戦前世代の死去に伴い、地方辺境の限界集落から「廃村」が進行している。これは、利便性の問題ではなく、人間関係そのものの途絶によるものであり、いまさら高速道路や新幹線を計画しても、地方の回復にはつながらない。ただでさえ人口が都市集中している上に、オリンピックまで東京が引き受けたために、地方では、そもそも、いかなる建設工事も、それを担うに足る生産人口そのものがすでに存在しない。

 単純な少子化や人口減の問題ではない。もはや地方の第二都市以下は、既得権高齢者以外は、仕事が無い。生活ができない。そのため、家族世代が居住しない。人口が再生されない。小中学校、高校も統廃合が相次いでいる。だから、予備校はもちろん、大学病院以外の駅弁大学も存在意義を失う。デパートも、スーパーも、コンビニさえも撤退する。書店も、整体院や鍼灸院に代わる。残っているのは、年金受け取りの郵便局と農協くらい。新設されるのは、老人ホームと即席霊園、産廃処分場ばかり。つまり、農村はもちろん地方都市も、「人間の生活の場」としては、すでに死んでしまっている。

 都市部ですら、生産人口は減っていっている。いくらそこから税金を吸い上げて、地方交付でばらまいても、交通や行政、防災に関して、人口一億三千万時代の全国的な面展開を維持できるわけがない。国力の減少相応に、地方部から撤退し、拠点とその連携線の維持のみに資源を集中せざるをえない。全国規模の民間企業も、県下支店を廃止し、ネットや宅配に置き換える。地方の切り捨てだ、と、怒る人々も多いだろう。だが、切り捨てられる前に、すでに人口再生能力を失って、とっくの昔に街としては機能的に死んでしまっている社会の墓場の「ゾンビ都市」。死んだものを生き返らす余力は、残念ながら、この国にはもう無い。マクロ的に見て、できもしない「町おこし」「都市再生」の夢物語で高齢の「田舎者」を騙し続けるのは、罪だ。それは、勝てもしない戦争を続けて日本を壊滅させた大本営と同じ。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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