集団的被弾義務

2014.07.15

経営・マネジメント

集団的被弾義務

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/戦いは勝つとは限らない。攻める側からすれば、集団の中でもっとも近くて弱い国を見せしめに叩いて、手駒に変えて、親玉と戦わせるのが当然。もうすこしのらりくらりと渡っていく国際外交の才覚はないものか。/

 権利には義務が伴う。集団的に自衛権を行使すれば、集団的に攻撃を受ける義務を負う。この問題、私が賛成と言おうと、反対と言おうと、場合によっては国会さえも無視して、国際情勢に従って政府が勝手に決める、勝手に行使せざるをえないのだろうが、同時に、自衛隊や外務省などは事前に手の引き方を考えておいた方がいい。

 たとえば、第二次世界大戦。日本が最後まで残っていて、最後に降伏したが、あのときまだ、ドイツが徹底抗戦を続けていたらどうか。イフの話ではあるが、たとえ降伏を打診しても、ドイツへの見せしめのために、東京に三つ目が落とされていたように思う。実際、イタリアは、降伏して終わりではなく、むしろドイツに対する戦闘にかり出された。元寇のときも、モンゴルに負けた高麗は、日本に攻め込むことを強いられた。

 防衛戦だったら勝てる、というのは、昔の話。昔は、守りは陣地を築けるから、攻めるより守りの方が三倍強い、と言われた。ところが、近代は戦略戦争になって、前線ではなく、兵站補給を徹底的に叩くのが常套手段になった。つまり、防衛戦の方が、国土すべてが攻撃に晒され、壊滅させられてしまう。イラクみたいには、なりたくない。だから、自衛の名の下に、先制で相手国を戦場にしたい、という発想も出てくる。

 しかし、先述のように、戦いは勝つとは限らない。朝鮮戦争のように、どちらも防衛戦ながら、戦線が大きく移動することで、南北両国とも全土が荒廃。まして、現代。先制で相手国に手を出してしまったなら、相手国は、もはや自国戦場の勝敗など無視しても、戦略戦争の常套手段として、その兵站補給の拠点であるこちらの本土の方をただちに叩き返してくる。実際、ハマスなんかがやっているのが、これ。こうなると、おたがいに軍隊の戦いではなく、一般国民の殺し合い、憎しみの無限連鎖になる。

 マーケティングでもそうだが、二位が一位と正面衝突をしても勝てない。だから、三位を叩き潰して、手駒に変える。米国と中国がぶつかったら、中国は米国を攻めても勝てない。となると、バカな弱小同盟国を見せしめにして、手駒に変える、というのは、当然の成り行き。たとえば、の話だが、集団的自衛権とか言っていて、それでこっちまで標的にされて、九州を取られちゃったら、具体的には関門海峡の制海権を失ったら、それでうまく降伏できるのか。第二次世界大戦のときのイタリアや元寇のときの高麗のように、日本は、また米国と勝てない戦争させられるんじゃないのか。中国としては、日本の本土を人質にして、自分でやるより、日本に米国と戦わせた方が楽でいいにきまっている。実際、朝鮮戦争やヴェトナム戦争のとき、そうだったんじゃないのか。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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