STAP細胞事件と論理学の重要性

2014.03.19

経営・マネジメント

STAP細胞事件と論理学の重要性

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/AならばBである、Bである、ゆえにAである、というのは、論理学の初歩的な誤謬。改竄だ捏造だという以前に、こんな初歩的な論文の論理的欠陥が、国際水準の学術雑誌まで見抜かれなかったことの方が、もっと大きな問題ではないのか。/

 あいつは四十歳で取締役だってさ、よほど仕事ができるんだろう。よく聞く話だが、この推論は、論理学の、ごく初歩的な間違い。仕事ができれば四十歳で取締役になるかもしれない。だが、四十歳で取締役になったから、といって、それは、仕事ができる証拠にはならない。じつは救いがたい無能で、オーナー社長の隠し子であるだけかもしれない。

 今回の一件、変な地雷女の話ばかりが目立つが、学者として注目すべきは、研究チームはもちろん、理研からネイチャー誌のレフリーまで、ことごとく、この論理学の初歩的な間違いをやらかした、ということ。すなわち、STAP細胞ができていれば、キメラマウスができる、というのは正しい。だが、キメラマウスができた、ということは、STAP細胞ができていた、ということを証明しない。なぜなら、別のものでもキメラマウスはできるから。

 もっと図式的に言えば、AならばBである、Aである、ゆえにBである、というのは、論理学的に正しい。だが、AならばBである、Bである、ゆえにAである、とは言えない。先の例のとおり、AならばBである、かつ、CならばBである、かもしれないから。Bである、としても、Aではない、かつ、Cである、ということがありうる。

 論文というのは、論理的な立証が成り立っていないといけない。STAP細胞があろうと、無かろうと、推論にこのような論理上の致命的な誤謬がある以上、論文として成り立っていない。研究者として「未熟」な小娘は話にならないにしても、それに名を連ねたお歴々も、論考を職とする学者として大いに反省すべきところではないのか。この問題は、データの改竄だの捏造だのなどという「高度」な話ではなく、論文の論理性の初歩の初歩。あの地雷女がいてもいなくても、論理は、論文として絶対に担保すべき骨格。

 同様に、天才ならば変わり者だ、としても、変わり者である、ゆえに天才である、という推論は、論理的に間違っている。ところが、論文においてこのような論理的な間違いをおかした連中は、演出においても同じ間違いをやらかした。そして、世間も同じ論理的な間違いに引き込まれ、変わり者だから天才にちがいない、と思い込んだ。天才ならば変わり者だ、という前提とともに、バカならば変わり者だ、という前提も成り立つ以上、変わり者である、ということは、天才である、ということを証明しない。ただのバカかもしれないし、残念ながら、事実、後者の方の前提であったようだ。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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