体罰もごほうびも同じこと

2013.01.31

ライフ・ソーシャル

体罰もごほうびも同じこと

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/体罰と体楽は表裏一体。体罰を禁じても、体楽がインセンティヴなら、その他の不祥事までは無くならない。本来のスポーツは、損得に振り回されない強い心を磨き、その生き方を貫けるだけの強い体を養うためのものではなかったのだろうか。/

 体罰、って、そりゃ、上のやつらの当たり散らしのことだろ。問題外だ。だが、昨今の体育会の世界って、体罰を止めたところで、そのインセンティヴは、あいかわらず、試合に勝ったら百万円、年俸1億、ハワイ旅行、みたいな、言わば「体楽」なんじゃないのか。そういうフィジカルな賞罰的世界観に留まるかぎり、結局は、体育バカ、つまり、体は強いが、心は弱いやつらを量産するだけ。自分より下のやつを殴る、女を見ればやっちまう、カネはいくらでもガメる、って、人間としてあまりに弱すぎる。

 武道を道と言うのは、それが生き方の問題だからだ。武術そのものは、あくまでその生き方を貫くための手段にすぎない。人格陶冶(とうや)は、心を強くすることこそが目的で、心が強くいられるように体を鍛える。むしろ、損得だの、賞罰だのにかんたんに心を振り回されないためにこそ、体を鍛える。それは、世界のスポーツマンシップでも同じこと。だから、エリートや将校クラスを養成する学校ほど、スポーツを重視する。

 ところが、オリンピックの国策奨励だ、プロスポーツのショービジネスだ、と、この百年で、めちゃくちゃにおかしくなった。体はしまっているのに、脳みそがデレデレの連中ばかりになった。新聞やニュースの中にまでスポーツが入り込み、雑誌から広告まで、一大業界になった。だが、もともとスポーツを新聞が採り上げるようになったのは、埋草記事と販売促進のため。試合をやればかならずどちらかが勝ってかならず記事にできるし、選手の出身地、チームの所属地で売り上げがあがるから。社会的に見れば、なんの生産性もない。それどころか、政治や経済で騒がぬように、庶民の目を眩ますサーカスだ。

 ほんとうのスポーツって、そんなものか。ファイトマネーなんて日当ほどにもならないのに、日夜、ボクシングジムに通って自分を鍛えている人。夜明けとともに白い息を吐きながら無人の街を走って行く人。世間が居酒屋で飲んだくれてグチを垂れている夕べに、無言でトレーニングマシンと向き合い、静寂のプールを泳ぎ渡る人。貴重な休日、知らない相手と集まって、日が暮れるまで親しげにボールを追いかける人。損得だ、賞罰だ、などと言っていたら、こんなことはやってはいられまい。

 どうも協会、というより「業界」の指導者層こそが、世間一般の本来のスポーツから遊離し、必要のない過剰な「体楽」で、せっかくの逸材たちを間違った方向にねじ曲げてはいないか。そして、その「体楽」は、根のところにおいて体罰と表裏一体だ。いったい何のためのスポーツなのか。それを見失って、体罰だけを禁じても、根本は変わらず、不祥事は止むまい。だが、今、何のためのスポーツか、と聞いたら、連中の間では、上から下まで、カネ儲け、と、素直に答えてしまうバカが続出しそうでこわい。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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