将来に絶望しているキミへ

2012.11.30

ライフ・ソーシャル

将来に絶望しているキミへ

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/絶望的なやつは、あまりにも絶望的で、絶望的なことに気づくこともできない。だが、希望は、今の自分ではない自分をめざすという意味で、もともとそこに絶対的な断絶を含んでいる。そして、この絶望の深淵を知るものだけが、これを踏み越えて真に希望を叶えることができる。/

 おれは酔ってねぇ! と、どの酔っ払いも言うものだ。酔っ払ってしまっているのだから、酔っ払っていることなどわかるわけがない。同様に、ほんとうに道に迷っているやつは、道に迷っていることにすら気づきようがない。バカは、自分がバカであることすらわからないほどにバカ。逆に、酔ってるかも、迷ったかも、オレってバカかも、と気づいているやつは、まだ救いの道が残されている。

 ふつう絶望というと、希望があって、それが絶たれた状況のように思われがちだが、じつは、現状に安住して、なんの希望も持たないのも絶望的だ。まして、叶いっこないような希望に夢を膨らましているのも、これまた絶望的だ。そして、絶望的な連中は、あまりにも絶望的であるがゆえに、自分が絶望的であることにすら気づくこともできない。

 あなたの周りにもいるだろう。ある日、突然、政治家になる、とか言い出して、なけなしの全財産を選挙に注ぎ込んでしまう瞬間沸騰なやつ。アルバイトなんか割に合わない、とか言って、ごろごろと引きこもりを続けている粗大ゴミなやつ。本人は何を考えているのか知らないが、端からすれば、どう見ても絶望的。そんな生き方は、ある意味で、毎日が自殺だ。今日の自分を生かすことを知らないから、明日にはけして辿り着けない。

 そもそも希望というのは、もともと絶望的なもの。今の自分と、なりたい自分は、別。そこには絶対的な断絶がある。だからこそ、それをどうつなぐかに腐心する。こんな自分のままではイヤだ、という、そのイヤな自分しか持ち合わせていないのに、そのイヤな自分をどうにかこうにかナダめスカして、一歩でも半歩でも理想の自分へと近づけていく。それも、ときには、思いっきり遠くの道へ迂回しなければならないかもしれない。

 言ってみれば、人生はスゴロクだ。一発で18の目でも出せれば楽だが、サイコロの目はどうがんばっても6まで。それどころか、今のダメな自分は、3の目までしかなかったりする。それでは割に合わない? だが、一歩ずつでも前に進んで、うまく表通りに出られれば、サイコロを2個使ってよい、3個使ってよい、というような身の上になれるかもしれない。もちろん世の中には、最初から恵まれているやつもいる。しかし、人をうらやんでいても何も始まらない。まずは手持ちのサイコロから始めるしかあるまい。

 また、今日という日は生ものだ。明日には取っておけない。パスをしたからといって、後で二回振ってよいわけではない。とはいえ、幸いに、それはまた日配品でもある。明日にはまた、かならず新しいチャンスが保証されている。今日、6の目が出ても、明日もサイコロを振る権利は与えられる。だったら、振らないより振ってみた方が良いに決まっているだろう。何の目が出るにせよ、今日は今日として、威勢良く振ってみよう。

続きは会員限定です。無料の読者会員に登録すると続きをお読みいただけます。

Ads by Google

この記事が気に入ったらいいね!しよう
INSIGHT NOW!の最新記事をお届けします

純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

フォロー フォローして純丘曜彰 教授博士の新着記事を受け取る

一歩先を行く最新ビジネス記事を受け取る

ログイン

この機能をご利用いただくにはログインが必要です。

ご登録いただいたメールアドレス、パスワードを入力してログインしてください。

パスワードをお忘れの方

フェイスブックのアカウントでもログインできます。

INSIGHT NOW!のご利用規約プライバシーポリシーーが適用されます。
INSIGHT NOW!が無断でタイムラインに投稿することはありません。