日本経済と暴力団(『週刊エコノミスト』2000号(1992)から)06/17

2011.08.28

経営・マネジメント

日本経済と暴力団(『週刊エコノミスト』2000号(1992)から)06/17

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

『朝まで生テレビ!』(1992)の番組資料としてまとめられ、『週刊エコノミスト』2000号(1992)に論文として掲載されたもの。ヤクザや暴力団についての概要を知るための資料。17分割で再録。著作権は著者が保持。

* 以下は『週刊エコノミスト』1992年掲載当時のままの原稿の再録です。

6)大正デモクラシーとヤクザの体制的再編

日清日露後の戦争好況の後には反動不況がやってきた。労働争議が自然発生的(非組織的)に多発し、しばしば鎮圧に軍隊を必要とするほどであった。このため、主な企業は、労働者に対する福利厚生を充実して「家族主義」的経営を行うことを宣言して、組長請負制度を廃止し、人員整理・能率給制を行うようになっていった。

しかし、この「家族主義」は、実際は労働者の直接管理の強化であり、高齢者や弱能者の切り捨てであった。このため、むしろ失業者が増大し、日本経済は恐慌的な状態に陥った。もっとも、このような企業の直接管理にもかかわらず、親方子方制に基づく前近代的な職人組織そのものは企業内部に温存された。

このような企業の人員整理によって排出された失業者の中には、やむなく都市で素人露商となろうとする者も少なくなく、これに対して、定住的屋は、彼らに営業手段を貸し付け、彼らをますます支配搾取するようになっていった。また、爛熟した都市においては、学生や徒弟や無職青年などによる「愚連隊」すなわち不良交遊集団が発生蔓延し、窃盗・恐喝・傷害など、しだいに暴力性を強めていった。

労働管理を行うだけの組織博徒は、この「合理」化によって主な企業からは締め出され、業務量と労働者が流動的なために企業の固定的な「家族主義」的経営が成り立たない産業分野、すなわち、建設・運輸・港湾・炭坑・開拓などの事業にさらに収斂していき、失業者を低賃金労働者として調達管理し、企業の必要に応えた。

1914年、《第一次世界大戦》が勃発すると、生産力を失ったヨーロッパに代わって、日本経済は突然の戦時景気となり、重化学工業を中心として、新規企業の創設があいついだ。このため、企業間において職人組織単位の引き抜きが活発に行われた。山口春吉も、人夫供給業大島組(大島秀吉)の配下で活躍し、15年、労務者50人を抱えて山口組を創設した。

くわえて、大戦中の17年、《ロシア革命》が起った。この戦争と革命で一時的に列強勢力が弱まった大陸に日本は侵略を進め、この軍需に冷害が加わって米価などが高騰し、18年には富商や地主を襲撃する《米騒動》が全国で同時に発生し、その参加者は70万人にも及んだ。日本でもすでに日清日露戦争前後から社会主義運動が成立していたが、これがこのロシア革命と米騒動をきっかけに一気に普及し、吉野作造(1878~1933)らも「大正デモクラシー」として民衆の政治参加を先導した。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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