日本経済と暴力団(『週刊エコノミスト』2000号(1992)から)05/17

2011.08.28

経営・マネジメント

日本経済と暴力団(『週刊エコノミスト』2000号(1992)から)05/17

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

『朝まで生テレビ!』(1992)の番組資料としてまとめられ、『週刊エコノミスト』2000号(1992)に論文として掲載されたもの。ヤクザや暴力団についての概要を知るための資料。17分割で再録。著作権は著者が保持。

* 以下は『週刊エコノミスト』1992年掲載当時のままの原稿の再録です。

5)ヤクザの国権主義化:日清日露戦争

94年、朝鮮において反欧独立主義の東学党が反乱を起こすと、これを玄洋社は支援し、日本政府も出兵して、《日清戦争》(94~95)が勃発することになる。これをきっかけとして、日本は政府主導で産業革命を強硬に推進した。ここにおいて、ヤクザは富国強兵に貢献する愛国的行動として、むしろ政府・経営側に接近して、労働者の管理や搾取を強化していった。また、内務省警保局長の古賀廉造も、国粋主義的な武士道によって一般大衆の戦意高揚を図ろうとした。これに呼応して、説教芝居的な大道芸にすぎなかった「波花節」は、桃中軒雲右衛門を得て、勧善懲悪と義理人情を訴える高座芸となり、人気を博した。また、新劇が洋風演劇を演じて新派劇を凌駕していく一方、後者から伊井蓉峰が「まげもの」に力を注ぐようになり、近松劇を経て、「本国劇」として「清水の次郎長」などの任侠劇を開拓していく。このような波花節と本国劇によって、江戸幕末のヤクザたちは理想化・伝説化していったのであり、また、当時の一般大衆にまで通俗的な「武士道精神」が浸透していったのである。

これにもまして、日清戦争において大国清国に勝利したことこそが、なによりも日本のナショナリズムを高揚させた。しかしながら、露独仏の「三国干渉」によって具体的な戦果を得られなかったことは、かねてからの欧州列強との不平等条約問題のコンプレックスとこの日本の初めてのナショナリズムとがあいまって、欧州列強への復讐を誓う「臥薪嘗胆」となっていった。くわえて、1900年、清国において反欧独立主義の義和団が反乱を起こすと、今度は欧州列強が派兵して、清国を半植民地化してしまった。この派兵には日本も参加したが、しかし、この事件は実際は日清戦争の戦果を欧州列強が奪取したにも等しく、日本の欧州列強に対する反感はさらに強まった。

とくに、ロシアは、これをきっかけとして満州南下を進め、朝鮮半島にもおよぼうとした。これに対して、大陸では、1901年、玄洋社の分派として、黒龍江、すなわち、満露国境のアムール川まで国権の拡張をめざす〈黒龍会〉が内田良平を中心に結成され、さらに大陸におけるさまざまな諜報工作活動に従事し、続く対露「復讐」戦の準備をしていった。彼らは、大陸において大アジア主義を提唱し、アジア民族興隆の指導者となることを公言したが、実際はあくまで日本の国権主義に基づく活動にすぎなかった。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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