日本経済と暴力団(『週刊エコノミスト』2000号(1992)から)04/17

2011.08.28

経営・マネジメント

日本経済と暴力団(『週刊エコノミスト』2000号(1992)から)04/17

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

『朝まで生テレビ!』(1992)の番組資料としてまとめられ、『週刊エコノミスト』2000号(1992)に論文として掲載されたもの。ヤクザや暴力団についての概要を知るための資料。17分割で再録。著作権は著者が保持。

* 以下は『週刊エコノミスト』1992年掲載当時のままの原稿の再録です。

4)社会からのヤクザの遊離:1880年代

的屋は、「露商」として、すでに1872年に太政官布告によって営業が許可されていたが、80年代になると、明治維新や松方不況による没落民衆の参入によって次第に増大し、さらに、日清日露戦争期の政治経済の都市集中によって急激に膨張し、東京の飯島源次郎らが的屋の中興の祖として活躍した。このため、たびたび政府規制が検討されるほどになり、これに対して、的屋は自治組織を形成し、自主管理を行うことになる。しかし、同時に、旧来の的屋の新参吸収や新興の的屋の垂直分化、そして、知事鑑札制の導入などによって、かつては互助的であった的屋組織が、しだいに地域の営業を全体的に支配するようになり、支配地域の出店露商から営業認容金を搾取するようになっていった。

80年代後半になってようやく政治が安定すると、日本は政府主導で急速に近代化が進展する。この近代化のための政府や民間の建設・運輸・港湾・炭坑・開拓などの事業において、大量の労働者が必要とされ、ここに明治維新や松方不況による没落民衆が流入していった。そして、旧来のヤクザの参入や労働者内部の垂直分化によって、労働者の事業請負自治機構として定住的屋的互助型の〈友子〉制、人足置屋的管理型の〈納屋〉制、専門職人的分業型の〈組〉制などが形成された。

しかし、89年の会計法改正による競争入札制の普及と90年の反動不況によって、郡小の労働者組織間の受注競争は激しさを増し、その結束と抗争を引き起した。もっとも、いずれもあまりに突然の近代的大型事業であるために、当時の前近代的組織では、実際にはどのみちどこも一社で事業全体を請け負う能力はなく、不明朗な業者間・政府間の談合・賄賂・手抜が横行することにもなった。また、このような労働者組織は、組織労働者に対して仕事や娯楽の調達斡旋・失業や労災の生活保障を行ったが、このために組織労働者の賃金の多くを中間で搾取したり、賭博で回収したりすることも多くなり、いずれもしだいに受注請負業者として専業化し、労働者から遊離していった。

ところで、ヤクザを含む壮士たちの愛国自由民権運動は、89年の憲法発布の後、目的を喪失して衰退していった。その一派の川上音次郎らは、以前より「オッペケペー節」によって愛国自由民権運動の民間普及に努力していたが、「壮士芝居」さらには「新派劇」として演劇性と通俗性を強めていった。その演劇は、旧派すなわち伝統的な歌舞伎と対称的に写実的であろうとしたものであり、小説や翻案にネタを採って、初期の政治劇、中期の犯罪劇、後期の家庭劇へと発展していったが、その社会的問題意識はしだいに薄弱になってしまった。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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