情報機密とネット暴徒の時代

2010.11.12

経営・マネジメント

情報機密とネット暴徒の時代

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/群衆は敵を必要とする。かつて敵は、扇動家によってでっちあげられたが、群衆がネットを手に入れた結果、その自律性を攪乱する扇動家そのものが敵となった。それゆえ、現代では、情報を隠すより、むしろオープンにして、真の敵を示して、群衆を味方につける情報管理が重要になる。/

 子供のころ、デパートの食堂にお子様ランチを食べに行くのが楽しみだった。ところが、あるころから、行かれなくなった。ヘルメットをかぶり、タオルで顔を隠し、ゲバ棒を持った変な連中で、街が占拠されてしまったのだ。口先でピースなどと歌いながら、やつらは、警官隊に石を投げ、建物に火炎瓶で放火した。

 1895年、社会心理学者のル・ボンは、次の時代は群衆が支配する、と予言した。それは、個人の意識を持たず、容易に世論に操作される人々。フランス革命においては、まだ、それぞれの派の筆頭に立つ人物がいた。ところが、群衆においては、だれが頭だかわからない。そのときどきで何人かの名前が挙がったとしても、全体を統率できるほどの力があるわけではない。たまたま波の上に乗っているだけ。群衆は、だれもがリースマンの言う「レーダー型」であり、周囲の顔色をうかがって、すぐに同じ色に染まる。

 もちろん、だれかが仕掛けている。いわゆるデマゴーグ、扇動家だ。絶対的な仮想の敵をでっちあげ、その敵の側か、それに反対するかを、二者択一させ、群衆を自分の側に引き寄せる。敵は、ユダヤ人でも、鬼畜米英でも、国賊姦臣でも、帝国主義でも、資本主義でも、環境破壊でも、なんでもいい。重要なのは、群衆のひとりひとりに、自分がその敵の側ではないという、身の潔白の証明としての行動を無理に求める点だ。だから、群衆自身は、それぞれが自分の意志で動いていると思っている。しかし、この敵か、味方か、二者択一の枠組みに入れられてしまっている以上、もともと選択の余地などない。

 戦前において群衆工作、世論操作を引き受けてきた諜報組織は、戦後、広告代理店に発展し、高度経済成長においては、遅れている田舎者か、進んでいる都会人かの二者択一で、人々を消費へと駆り立てた。しかし、いま、そのエンジンが壊れてきた。仕事無し、カネ無しで空ぶかししても、もはや群衆は動かない。それどころか、逆に、広告代理店的な政治手法そのものが敵とされるようになってきた。群衆がネットというメディアを直接に手にしたことで、その自律性を攪乱する扇動家に対し、反撃を始めた。

 群衆というのは、なにも街に出てくる暴徒だけを言うのではない。現代の国際的な通信手段であるネット上で「荒らし」と呼ばれるような集中攻撃が起きれば、その部分は簡単に麻痺してしまう。いや、「電凸」として実体化することもある。もはや群衆は、顔を隠したりしない。自分の名前を名乗ったところで、現代では名前の意味そのものが奪われているので、なにも恐いものはない。まして、多数の群衆によるゾーン監視によって「実況」にさらされれば、現場の動きが情報的に丸見えにされてしまう。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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