モノ作りではなく人間が相手

2010.08.21

仕事術

モノ作りではなく人間が相手

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/使う人を忘れてモノだけ作ったから、人に売れなくなった。人間は仕事で生きる。仕事を殺せば、自分が死ぬ。客の顔を思い浮かべ、日々、今日一度限りのライヴと思って仕事に取り組もう。/

 以前、我らが東大の恩師の講義が有線放送でも有名らしい、と、仲間内で話題になった。それは通信大学講座用に録音されたもの。だが、それは、なんと「羊の数え上げ」ともに《睡眠》のジャンルに入れられていたのだ。さもありなん、ただ一人で延々とボソボソしゃべっているだけ。当時にしても、この恐るべき睡魔の呪詛(じゅそ)に打ち勝ち、最後までまで起きていられる学生の方がまれだった。

 いまでも、あちこちの大学には、使い古しの講義ノートを一人で勝手に読み上げるだけで、出席も取らず、学生の方を振り返ることすらない、という教員も少なくないらしい。どうせわからんのだろう、義務だから仕方なく来てやっているのだ、おまえらとは関わりあいたくない、というところか。だが、学生から見れば、こういう教員の方が死人だ。

 近頃、モノ作り、モノ作り、と、年寄連中がうるさいが、そんなことばかり言っていたから、モノ作りもダメになった。どんな仕事でも、仕事は、人を相手にするものだ。どんなモノでも、それを使う人のために作るものだ。使う人のことを忘れ、かってにモノだけどんどん作ったから、要らないものばかりができて、人に売れなくなったのだ。

 どんな仕事もライヴだ。暑い日と、雨の日と、自分も、お客も、同じではありえない。この暑い日に来てくれるお客のために作ろう、という思いで作るのと、この雨の中に来てくれるお客のために作ろう、という思いで作るのでは、たとえ同じモノを作るのでも、自分の仕事として違う。昨日の客が今日もまた来たとして、昨日来た客は、昨日来た客に過ぎなかったが、今日もまた来た客は、もはや昨日来た客ではなく、まさに今日もまた来てくれた客に変ったのだ。そこに憶えている顔を見れば、毎度ありがとうございます、という決まり文句と言うにも、自分の思いが違う。

 我々は生きている。生きて仕事をしている。自動製造機や自動販売機ではないのだ。そして、客もまた、現金支払機などではない。どちらにも心がある。思いがある。同じ日、同じ時間に、目を合わせる。電話を通じて、声を交わす。メールを送り、返事を待っている。自分の作ったものを使う人がいて、自分の使うものを作った人がいる。このつながりは、ときには数十年もの時を越える。我々は数百年も前の人の書いた本を読み、数十年も前の人が開いた道を歩く。そしてまた、我々が語る言葉、作ったものが、数十年、数百年後の人々へと贈り伝えられることもある。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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