ダイモニオンと向き合う

2010.07.29

仕事術

ダイモニオンと向き合う

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/人間には自分で善悪を知る本能がある。なにかまずくなりそうなことをしそうになると、心の奥底から、やめておけ、と、なにものかの声が聞こえてくるのだ。/

 たとえば、子供のころの夏休み、アイスクリームは一日ひとつだけ。そして、昼食の後に、もう今日の分は食べてしまった。午後、遊びに出て、汗びっしょりで帰ってくると、家には誰にもいない。買物かなぁ。そう思いながら、なんとなく冷蔵庫を開けてみる。明日の分のアイスが入っている。あ、おいしそう。食べちゃおうかな。すると、どこかから声が聞こえてくる。食べちゃダメ、それは明日の。おなかをこわすよ、と。

 見渡しても、やはりだれもいない。そう、その声は、自分自身の心の奥底から聞こえてくるものだ。ソークラテースは、これを「ダイモニオンの声」と呼んだ。古典ギリシア語で、神霊的なもの、という意味だ。キリスト教では、なぜか突然、私利私欲が消え、善いことをしたくなる瞬間を、「聖霊が降りてきた」と言う。また、中国の陽明学では、それは「良知」と呼ばれる。現代では、欲望に対抗するものとしての「理性」や「良心」と言った方がわかりやすいかもしれない。

 動物はともかく、人間には、すべて生まれながらに、こういう不思議な機能が備わっている。善悪など、人に言われるまでもなく、じつは自分でよくわかっているのだ。それをあれこれの理屈をつけてごまかす。つまり、理屈の方こそが、すべて自分自身をだますためのウソ。だから、ちょっとでも気を抜くと、ダイモニオンが顔を出す。たとえば、トイレに座ったとき、フロでため息をついたとき、布団に入って電気を消したとき。やっぱり、こんなやりかたじゃ、いけないよなぁ、なんとかしなきゃ、というように。

 しかし、ハイデッガーに言わせれば、人は、ダイモニオンが恐くて逃げる。なにも決断しない曖昧。まだ決めてません、いま考えています、もうわかりません。これなら、なんの責任もとらなくていい。そして、自分と関係のないことへの好奇。いらないものを集めてみたり、どうでもいいことに詳しくなったり。だが、絶対に自分自身には関心を持たない。だから、身だしなみはだらしなくなる。そして、ひとりではいられず、似たような仲間を見つけ、ゴルフだの、アニメだの、芸能人だの、延々と中身のない空談にふける。そして、ダイモニオンから逃れる、もっとてっとり早い古典的な方法は、パスカルの言うように、賭事に熱中し、酒を飲んで酔いつぶれて寝てしまうことだろう。

 とはいえ、ダイモニオンから逃げたところで、ダイモニオンを呼び起こした問題そのものが消え去るわけではない。それどころか、痛みを抑えただけの虫歯のように、問題から目を背け、ダイモニオンの声を無視している間に、事態はさらにのっぴきならないところへ突き進んでいく。そのうえ、どうにも助からないところまで深みにはまってしまっている上司や同僚が、まるで船幽霊ように、あなたの足をつかんで離さず、むしろ海の底までいっしょに引きずり込もうとする。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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