老害に老害の自覚無し

2010.07.27

仕事術

老害に老害の自覚無し

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/人を老害、老害と言っているやつも、じつはすでに老害の側。その自覚すら持てないほど老いぼれては、まさに老害として疎まれるだけ。/

 マッカーサーだか、松下幸之助だかのまねをして、サミュエル・ウルマンの『青春』などという詩を掲げ、仕事に張り切る老人ほど、周囲に迷惑なものはない。そんなものを好む時点で、すでに老いぼれているのだ。

 能の創始者として有名な世阿弥は『花伝書』に言う、老人を演じるなら、若作りをせよ、と。というのも、若者はけっして若者ぶったりしない。若者ぶるのが老人の特徴だからだ。武士道を説く『葉隠』もまた、こう書いている。酔ったことがわからぬほど酔った酔っぱらいより、老いたことがわからぬほど老いた老いぼれは、ほんとうに始末に悪い、と。また、フランスの思想家パスカルも、老いてまだ新しいことを学ぶなどと言っている者は、まず自分がすでに片足を墓場につっこんでいることから学ぶがよい、と言う。

 だいいち、一分一秒でも早く目的地に着こうと、いつもどこでも大騒ぎしていたのは、いったい、どこのだれだったのか。なぜ人生もゴール目前になって、振り出しの方に戻りたがるのか。世界の歴史を顧みても、新しいことは、新しい世代が始めるものだ。老人がなにか新しいことを始めて、うまくいったためしなど無い。いくら気持が若くても、気力が続かぬ。それで、自分では手足を動かさず、ウソ八百で子分を集め、口先だけで人を動かそうとする。だが、生きて自分で先のことに責任を取るのではない人物になど、周囲はおつきあいでしか従いはしない。長年この世にあって、そんな人生の限界、人間の機微もわからぬようでは、よほど役立たずの老いぼれだ。

 幕末の志士を気取るヒマがあったら、次の時代の幕開けのために、まず自分が、勝海舟や小栗上野介のように、後腐れのない幕引きを努めるくらいの知恵はないものだろうか。とはいえ、新しいことに手を出すより、みごとに殿軍(しんがり)を務めることの方が、はるかに難しいのだ。新しいことは、始める気になれば、なんでも始められる。うまくいくか、どうかは、また別のことだ。にもかかわらず、世間は、とりあえず新たな挑戦として誉めそやしてくれる。なるほど、それなら簡単で、気分もよかろう。一方、後始末は、掃除のようなものだ。やって当然。だが、だれもやりたがりはしない。それどころか、片付けの邪魔をするやからだらけ。そのうえ、古老たちから、腰抜けの裏切り者よ、と逆恨みされる。こんな割に合わぬ仕事を、若い次の世代に押しつけるのは忍びない、とは、思わないのだろうか。まあ、思わないから、まさに老害なのだが。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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