教えるためには、教えてはいかん

 今日は、「与えられた答」と「見つけた答」について考えてみたいと思います。日経ビジネス2008.3.24号『有訓無訓』に宮大工の小川光男氏の記事が載っていました。「教えるためには、教えてはいかん」と語る同氏の経験に裏打ちされたパラドックスは、研修に訪れたトヨタ自動車の上級技術者も戸惑ったようです。同氏は、記事の中で次のように述べています。

 口で言えば30分で済むことでも、教えないと本人が気づくまで2~3日かかることもあります。でも自ら気づき、学んだことでないと身につきません。教えてもらおうと思うのが間違い。言葉や頭で、分かった気になるのが一番ダメです。教えずに耐える方も大変ですわ〔以上引用〕

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 与えられた答という言葉には教わるというイメージがピッタリでしょう。日本の学校教育は与えられた答で溢れています。その影響もあって、多くの日本人は社会に出てからも答を与えられることを望みます。答が与えられないことが不安で、一般社会からの回避を続ける20代、30代もいます。

 故小此木啓吾慶応大学教授の『モラトリアム人間の時代』が出版されたのは1978年でした。それから30年経ち、モラトリアム人間は「フリーター」や「ニート」と言葉を変え増殖し社会問題となっています。

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 答を与えて一つに決めてしまうことは普及のスピードを加速させ、行動の一致を容易にすることができます。答を与えることは集団を統率する場合に有効です。また、与えられた側は自分で考えなくても済むのですから楽です。「守ること」「従うこと」さえ実行すれば安心していられます。

 その反面、与えられた答は意味も分からず、ただ従う人を増やします。自分で考えなくて済むということは個人の創造性を奪います。自分で考えないことは進歩を生みません。

 また、企業において管理職や上司が答を与えることは、時には指示・命令と同様に受け取られることに注意しなけらばなりません。

 頻発する企業の偽装事件や社保庁の年金記録問題が組織犯罪化した背景には、「考えることは余計なこと」といった風潮が組織の中に蔓延し、社員や職員が与えられた答(ルール)を疑わず、従い守り続けた結果といえます。

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 一方、自分で答えを見つけるには、自分で考えたり行動する作業をしなければなりません。面倒です。辛く難しい作業になることもあります。それに、答を見つけるには相応の時間が掛ります。幼少期から学生時代に至るまで与えられた答に慣れ親しんだ私たち日本人は、いきおい、短期間で答が得られる(他人から答えが与えられる)ほうに流されがちです。

 また、見つけた答は誰にでも通じる解とは限りません。自分にとっては効果的だけど、他人にとっては何の意味もないことも多々あります。

 自分で答を見つけるための思考と行動のプロセスでは、思考と行動のスキルが必要になります。幼稚園児に美味しいレシピを考えてと言っても、火が使えなければ無理です。相応の知識や経験、能力がなければ自分で答を見つけることはできません。しかし、冒頭の小川氏の言葉にもあるように、思考と行動のプロセスを通して自分で見つけた答は深い理解を伴います。

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