クールジャパンのウソ!:売物ジャポニズムvs見えざる日本の美

画像: photo AC: JAKUTAKU さん

2019.07.09

ライフ・ソーシャル

クールジャパンのウソ!:売物ジャポニズムvs見えざる日本の美

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/マンガやアニメは、戦後の反古典主義的(反戦前的)サブカルチャー。そのファンが世代的に社会から退場しつつあるために、市場は高齢化し、規模も縮小してきている。海外においても、ファンは「負け組」であり、例外的少数は富豪コレクターになるかもしれないが、大勢としては、趣味変革を起こすほどの力を持ちえない。/

つまり、この技巧で重要なのは、事物として目の前に見えるものではなく、その奥に、それが差延として継承している元のものを感じることができるか、という問題である。漱石が、能を評し、「上へ芸術という着物を何枚も着せて」いるというのは、この本説取りの多重性のことである。「世の中にあるまじき悠長な振舞」となるのは、それがもはや現実のものではない夢幻であるからにほかならない。この技法を用いた日本的な芸術は、なにも詩歌や能楽、茶道に限らない。たとえば、我々は、庭園の枯山水を見て、石ではなく、そこに無い水を感じることができる。

これは、歌舞伎や浮世絵の見た目の外連味とは対極的な「表現」のあり方だろう。とはいえ、相応の高度広範な文化的教養がなければ、そこに見える以上のものを内的なイマジネーションで見ることなどできまい。閉じた国にあって、謡のような形で、過去の文化を共有してきた基盤があればこそ。出自も由来もばらばらで、文化的背景がそれぞれに異なる人々の間では、この見えない奥行は、理解もしがたいことだろう。

概して、直線的な発展史観を持つ〈ヨーロッパの美〉は、現実離れした理想をめざす。一方、永遠的な循環史観を持つ〈オリエントの美〉は、転変の根底にある真相を露わにする。これらに対し、繰り返される外国文化の襲来流入で、恒常的に彷徨史観に立たざるをえない〈日本の美〉は、循環的な季節感や王朝感を持ちながらも、けっして元には戻れず、かといって過去に積み残した「残念」を切り捨てることもできない重層性を、光に伴う影として心の中で引き受けなければならなくなった。ここでは、カサネが、つねにズラシになってしまう。時を経てなお、重なったままで残っているものは、ありえない。この差延に、わかる者にしか、もうわかるまいという孤立の諦感、自分の幻想が私的なものでしかなく、さらには、自分自身もまたもはや幻想の側の「えうなき」漂泊者であるという、あわれの侘び寂びが胸を締めつけることになる。

今日また、マンガやアニメなどのサブカルチャーを「クールジャパン」などと称して海外に売り出そうとする向きもあるが、その根底にあるのは、日本文化の世界普及というより、明治時代と同様、貿易超過に対する外貨獲得の政治政策だろう。これらは、たしかに海外で一部の層に、キッチュな外連味として好まれてはいる。だが、彼らは、ナード(いじめられっ子)など、社会主流からの少数脱落層、いわゆる「負け組」であり、その中の例外的少数はITなどで成功して富豪コレクターになるかもしれないが、大勢としては、19世紀後半のような封建制から産業制への社会転換に伴う趣味変革を起こすほどの力を、階層として今後も持ちえないのではないか。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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