クールジャパンのウソ!:売物ジャポニズムvs見えざる日本の美

画像: photo AC: JAKUTAKU さん

2019.07.09

ライフ・ソーシャル

クールジャパンのウソ!:売物ジャポニズムvs見えざる日本の美

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/マンガやアニメは、戦後の反古典主義的(反戦前的)サブカルチャー。そのファンが世代的に社会から退場しつつあるために、市場は高齢化し、規模も縮小してきている。海外においても、ファンは「負け組」であり、例外的少数は富豪コレクターになるかもしれないが、大勢としては、趣味変革を起こすほどの力を持ちえない。/


歌舞伎と浮世絵の敗北

日本美術を再発見したとされるフェノッローザにおいても、版画浮世絵のような大量生産大量消費の通俗的で外連味のあるカブキ芸術は、評価の対象外とされていた。しかし、それは、彼が背景とする龍池会が、かつての下賜美術品の再流動化を図ろうとしていたからだけだろうか。フェノッローザは、すでにフランスの印象派革命を受け入れていて、遠近法や陰影法による写実主義を否定している。ただ対象を模倣するだけであれば、もはやわざわざ絵にする必要はない、と。それならば、彼の提唱する新機軸の「妙想」、外連味に溢れている浮世絵のようなものこそ、彼は評価すべきだったのではないか。

東京大学哲学教授フェノッローザの龍池会講演録『美術真説』(82)に対し、83年に同大学を卒業したばかりの少壮、坪内逍遥(1859~1935)は、『小説神髄』(上1885、下86)を著してフェノッローザを痛罵し、写実主義を訴える。だが、この批判は逍遙の理解不足の勇み足であっただろう。というのも、逍遙の言う写実主義は、事実描写ではなく心理描写に関するものであって、フェノッローザの印象描写と異なるところはないからである。

しかし、逍遙は、91年には森鴎外(1862~1922)とも「没理想論争」を起こす。逍遙が、シェイクスピアの紹介に際して、優れた芸術は客観的事実のみに徹している、と言うのに対し、鴎外は、主観的理念も無しに語ることには意味が無い、とした。この論争は、言語行為論的な見方からしても、芸術がただの物理的記録ではない以上、鴎外の言い分の方に利があった。

破れた逍遙は、その後、自分の考えに基づいて、新作歌舞伎に取りかかる。それは歌舞伎から荒唐無稽な要素を取り除き、人間関係と心理描写に焦点を当てたもので、当初は「新歌舞伎」と呼ばれたが、後にはただ「新劇」と呼ばれるようになっていく。というのも、そこには、もはや〈カブキ〉は無かったからである。

鴎外の弟の三木竹二(1867~1908)もまた、歌舞伎に傾倒したが、逍遙のような演劇改良論を排し、あくまで古典を擁護。ただし、役者の人気や魅力を扱わず、客観的な型のみを論じた。本場のロンドンでシェイクスピアに親しんできた夏目漱石(1867~1916)は、1909年に古典歌舞伎を評して、「極めて低級に属する頭脳をもった人類で、同時に比較的芸術心に富んだ人類が、同程度の人類の要求に応じるために作ったもの」「あんなものを演じていては日本の名誉に関係すると思うほど、遠き過去の幼稚な心持がする」と腐している。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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