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この記事には以下のコメントがあります。
2009年10月31日 20:28
haereticusさん
コメントをありがとうございます。
因果応報ですね。
おっしゃるように、
この子供達の姿は、大人達の姿です。
なので・・・
>「悩みを打ち明ける」ことに関して打算があるのではないか?も同じだと思います。
周囲に与える影響(威力)を遙かに大きくすることがメディアの役割なので・・・自分の悩みをメディアに載せる選択肢を選んだ時点で、それは社会への報復ですね。
大人達が視聴率で一喜一憂しているバカな社会の裏返しかもしりません。
「一興="一つの楽しみ。また、ちょっとした興趣"」でしたね。これは、「一考」の間違いです。ご忠告通り直しておきます。感謝です。
コメントをありがとうございます。
因果応報ですね。
おっしゃるように、
この子供達の姿は、大人達の姿です。
なので・・・
>「悩みを打ち明ける」ことに関して打算があるのではないか?も同じだと思います。
周囲に与える影響(威力)を遙かに大きくすることがメディアの役割なので・・・自分の悩みをメディアに載せる選択肢を選んだ時点で、それは社会への報復ですね。
大人達が視聴率で一喜一憂しているバカな社会の裏返しかもしりません。
「一興="一つの楽しみ。また、ちょっとした興趣"」でしたね。これは、「一考」の間違いです。ご忠告通り直しておきます。感謝です。
2009年11月1日 01:28
歴史家のフィリップ・アリエスが著書『<子供>の誕生』で、<子供>は大人が作り出した恣意的な創造物であるということを看破したのを思い出しました。
<子供>は「史的システム」の中で大人によってその意義と「あるべき姿」が変化して来たと思います。
私は、時代によって異なる<子供>という“コンセプト”の変遷の本質は、大人が社会を管理するのに子供を“最適化”しようとする試みの変遷ではないかと思います。社会を管理するのは国家のガバナンス上必要です。しかし今回の記事を拝見し、それに関連して感じたのは、「見たくないものは見ない」的なスタンスが大人社会に多すぎるのではないかということです。地球環境問題もしかりですが。。うまく表現できませんが、子供社会に対する有効な施策があまりにも少ない今日の日本社会は、子供の世界で起こっている“自己組織化”的現象を把握できずに力ずくで自分たちの理想(しかし「幻想」)を押し付けようとする大人たちの虚しい努力が繰り返されているようでなりません。
>小学5年生を演じている小学5年生は、もう居ない。
>小学6年生を演じている小学6年生は、もう居ない。
まさにこれにつきると思います。
<子供>は「史的システム」の中で大人によってその意義と「あるべき姿」が変化して来たと思います。
私は、時代によって異なる<子供>という“コンセプト”の変遷の本質は、大人が社会を管理するのに子供を“最適化”しようとする試みの変遷ではないかと思います。社会を管理するのは国家のガバナンス上必要です。しかし今回の記事を拝見し、それに関連して感じたのは、「見たくないものは見ない」的なスタンスが大人社会に多すぎるのではないかということです。地球環境問題もしかりですが。。うまく表現できませんが、子供社会に対する有効な施策があまりにも少ない今日の日本社会は、子供の世界で起こっている“自己組織化”的現象を把握できずに力ずくで自分たちの理想(しかし「幻想」)を押し付けようとする大人たちの虚しい努力が繰り返されているようでなりません。
>小学5年生を演じている小学5年生は、もう居ない。
>小学6年生を演じている小学6年生は、もう居ない。
まさにこれにつきると思います。
2009年11月10日 00:50



では、なぜ、子供は「大人の望む子供像を演じなくなった」のでしょうか?
素人なりに考えてみてましたが、一番大きな原因は「"大人の権威"の失墜」にあるように思います。
「尊敬できる大人」が減り、不信や軽蔑、嫌悪等のマイナス感情の象徴となるような大人が増えていることは事実ですし、自分自身、尊敬の二文字に値する人間なのかと問われれば、返答に窮するのが現状です。
「社会の」ひずみというより、「大人の」ひずみが招いたしっぺ返しとして受け止めるべきなのかも知れません。
>「悩みを打ち明ける」ことに関して打算があるのではないか?
少なからず、打算はあると思います。ただ、それが「聞いてる大人達は喜ぶ」という程度のものかと言われると、少し違和感を感じます。むしろ、その程度の理由ですむなら、というのが本心です。
ラジオのように「生身の人間の声」を使ってそれを公表する(読み上げる)ということは、見方によっては一種の報復行為とも受け取れてしまうので。
実際、そこに「感情」が付与される分、文字をただ「読む」より、「声に出して読む」ほうが、周囲に与える影響(威力)は遙かに大きいはずですから。……単に考え過ぎなのかも知れませんが。
最後にひとつ、「子供の悩みを聞きだしてみるのも一興」とありますが、「一興="一つの楽しみ。また、ちょっとした興趣"」と認識しています。例えそのような意図がないにしても、子供の悩みを聞くことが「一興」とは、いかがなものでしょうか。