部課長の対話力〈4〉~自分は何によって憶えられたいか?

2010.08.23

組織・人材

部課長の対話力〈4〉~自分は何によって憶えられたいか?

村山 昇
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表

部課長は単に管理監督者であるより、もっと多面的でふくらみのある存在です。一職業人、一人間の立場から部下を大きく見守ってやらねばなりません。業務の目標でなく、人生の目的を対話によって引き出してやる―――そんな作業も必要です。

 部課長がどれだけ一役職人として巧みに指示命令を出そうと、どれだけ一能力人として優れて仕事を処理しようと、一人間として良識・見識を欠いていては部下からの本当の信頼は築かれません。例えば、取引先との電話を切るや否や、あるいは、役員との社内電話を切るや否や、「いやぁ、あいつらはまったく話の通じない連中だ」とばかり、丁寧だった口調がいきなり変わり業者や経営層批判を言い出す部課長がいます。こうした裏と表のある言動をする部課長は絶対に信頼されません。部下たちも、自分だって陰でこの上司に何と言われているかわからないもんだと猜疑心が募るばかりです。
 部とか課といった顔の見える範囲での組織においては、人をまとめていくベースは、やはり良識・見識に基づいた一人間同士の人間関係になります。

 ◆「自分は何によって憶えられたいか」~人生の目的を言葉に落とす
 さて、部課長は管理監督者として毎期毎期、部下に業務上の目標を立てさせます。これはこれで組織にとって必要なことではあります。しかし、この目標設定が、義務感による習慣であったり、機械的な達成数値の割り当てになったりしていないでしょうか。そうした惰性の目標設定になっている場合、上司と部下の気持ちはどうなるかといえば、―――「結局、給料をもらうためには目標立てなきゃダメだろ」(上司)、「そうですね、給料のためにはしょうがないですね」(部下)となりがちです。
 部課長はこれまで述べたように、管理監督者よりももっと多面的でふくらみのある存在です。部下を一職業人、一人間としてもっと大きく見守ってやらねばなりません。そのときに部下の将来をどう慮ってやれるのか?―――そんな角度で私が考えることは、ピーター・ドラッカーの次の言葉です。

 「私が一三歳のとき、宗教のすばらしい先生がいた。教室の中を歩きながら、『何によって憶えられたいかね』と聞いた。誰も答えられなかった。先生は笑いながらこういった。 『今答えられるとは思わない。でも、五〇歳になっても答えられなければ、人生を無駄にしたことになるよ』 」。  (『プロフェッショナルの条件』より)

 これはズシンとくるエピソードです。漫然と生きることを自省させてくれる問いかけです。これと同様のことを内村鑑三も言っています―――

 「私に五十年の命をくれたこの美しい地球、この美しい国、この楽しい社会、このわれわれを育ててくれた山、河、これらに私が何も残さずには死んでしまいたくない、との希望が起こってくる。何を置いて逝こう、金か、事業か、思想か。誰にも遺すことのできる最大遺物、それは勇ましい高尚なる生涯であると思います」。  (『後世への最大遺物』より)

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村山 昇

キャリア・ポートレート コンサルティング 代表

人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。

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